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ご由緒
寺伝によれば平安時代前期の嘉祥三年(850)、慈覚大師円仁による創建。その際、白鹿伝説が残されています。平安時代末期、堀河院・鳥羽院両帝の勅願により奥州藤原氏二代目基衡から始まり、三代目秀衡により完成されました。
最盛期には「霊場の荘厳、吾朝無双」と称賛された七堂大伽藍の落成により中堂は勅号『圓隆寺』を賜ります。その規模は、「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」と歴史書『吾妻鏡』に記され、中尊寺を凌ぎ、日本最大級の物であったとされます。奥州藤原氏滅亡後は、鎌倉時代から戦国時代にかけて同舎が失われてしまいます。ですが、平安時代の遺構と浄土庭園がほぼ完全な状態で現在でも保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重指定を受けております。
また、江戸時代・享保十七年(1732)には、延年の舞の舞台でもある常行堂が伊達氏21代当主・伊達吉村により武運長久を祈って再建されております。