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ご由緒
平安時代末期、後白河院の御所であった法住寺殿が起源。
後白河院が崩御すると、その陵墓である法華堂を管理するようになる。
江戸時代には赤穂浪士の大石内蔵助も参拝したと伝わる。
後白河院の陵墓を守り、その聖蹟を伝える
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ほうじゅうじ
京都府京都市東山区
阿弥陀堂には親鸞上人が自ら刻んだという阿弥陀如来像と、「親鸞聖人そば喰いの御像」が祀られている。 親鸞上人は夜な夜な禁制を破って比叡山を下りて六角堂に修行に行っており、その際にこのお像を自分の留守番役として置いていたという。
赤穂浪士48名が主君、浅野内匠頭の仇を取るために吉良上野介を襲った元禄赤穂事件。リーダー大石内蔵助は京都山科に閉居して好機を待ちうけ、この法住寺身代不動尊に詣でて大願成就を祈誓されたと伝わる。そのご縁から、法住寺では赤穂浪士の木造をお祀りし、討ち入りの日である12月14日には行事も行っている。
学生レポート
京都大学文学部4年
ご由緒
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