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後白河院の陵墓を守り、その聖蹟を伝える

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ほうじゅうじ

法住寺

京都府京都市東山区

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法住寺は平安時代末期の後白河院の御所、法住寺殿の跡地にあり、その陵墓を守護してきたお寺です。 源平合戦でこのあたりが戦場になった際、後白河院の身代わりとなったという御本尊・不動明王は多くの人々の信仰を集めています。

巡りポイント

後白河天皇のお住まい、法住寺殿の跡地に建つ法住寺には、後白河天皇ゆかりのものが多く残されています。 平安末期の世界にタイムスリップしたつもりで、境内を巡ってみましょう。

本堂

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伝統と新しさが共存する建築

本堂にあたる不動堂は、2007年に建立されたお堂。 立命館大学の山崎正史名誉教授の設計で、外壁部分にクリスタルが埋め込まれ、朝方・夕方にはお堂内に光が差し込み、堂内に光を放つようになっている。 拝観する時間によって光の状態が変わり、堂内の雰囲気が変化するのが魅力の一つ。
感想■本堂は様式的には比叡山延暦寺の根本中堂と同じように内陣を一段低い土間とする古い形式をとっていますが、クリスタルが埋め込まれた外壁などは現代的な意匠になっていました。 ご住職が「古いものを愛するのと同時に新しいものを発信するのが京都のならわし」とおっしゃっていたのが印象に残りました。

阿弥陀堂

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親鸞上人ゆかりのお堂

阿弥陀堂には親鸞上人が自ら刻んだという阿弥陀如来像と、「親鸞聖人そば喰いの御像」が祀られている。 親鸞上人は夜な夜な禁制を破って比叡山を下りて六角堂に修行に行っており、その際にこのお像を自分の留守番役として置いていたという。

感想■親鸞上人のお像は、親鸞上人が禁制を破っているのではないかという噂が広まり、師匠が夜に弟子たちにそばを振舞ったところ、このお像が親鸞上人の代わりにそばを食べたことから、「そば喰いのお像」と呼ばれているそうです。

赤穂浪士像

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大石内蔵助も参拝した

赤穂浪士48名が主君、浅野内匠頭の仇を取るために吉良上野介を襲った元禄赤穂事件。リーダー大石内蔵助は京都山科に閉居して好機を待ちうけ、この法住寺身代不動尊に詣でて大願成就を祈誓されたと伝わる。そのご縁から、法住寺では赤穂浪士の木造をお祀りし、討ち入りの日である12月14日には行事も行っている。

感想■大石内蔵助もこのお寺を参拝していたことに驚きました。 12月14日の行事では、舞妓さんの献茶式も行われるそうです。 法住寺のお寺にゆかりのある人々を大切にする姿勢に感動しました。

report

学生レポート

京都大学文学部4年

法住寺は後白河法皇以来、800年以上の歴史が魅力的なお寺ですが、仏様とのご縁だけではなく、法住寺殿を建てた後白河院や、赤穂浪士といった人とのつながりを大切にされてきたお寺だと感じました。今もご住職みずから書かれた御朱印のイラストなどが素敵で、参拝者とのつながりを大切にされていした。
これからも天台宗の教えだけではなく、お寺に関わってきた人々の思いが多くの人に届いてほしいと感じました。

history

ご由緒

平安時代末期、後白河院の御所であった法住寺殿が起源。 後白河院が崩御すると、その陵墓である法華堂を管理するようになる。 江戸時代には赤穂浪士の大石内蔵助も参拝したと伝わる。

info

参拝情報

名称
法住寺
(ほうじゅうじ)
所在地
京都府京都市東山区三十三間堂廻町655
googleMAP
参拝時間
9:00~16:00
終日閉門/毎月10日、20日、30日
※土日祝と重なった場合は、その翌日(平日)に振替となります。
参拝料金
500円
宗派
天台宗
宝物殿等
要確認
アクセス
京阪電車「七条駅」から徒歩7分
駐車場
有(普通車30台)
Webサイト
https://hojyuji.jp/
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