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ご由緒
寺伝によれば奈良時代の養老二年(718)、仁聞菩薩による開基。
南北朝時代には六郷満山中山の寺院として史料に確認できる。
鎌倉時代には将軍の祈願所となり、元寇に際しては異国調伏の法会を数多く行っている。
昭和16年(1941)の大水害で本堂・庫裡を流出し、のちに再建されるも無住の寺院となっている。
「峯入り」と「修正鬼会」の里
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てんねんじ
大分県豊後高田市
天念寺の背後にそびえ立つ岩峰・「天念寺耶馬」。そこには六郷満山の修験の文化を代表する石橋・無明橋が架けられている。天念寺耶馬には仏や神をまつる岩屋が数多く造られている。そのうちの一つ、「影堂岩屋」に千手観音立像がおまつりされていた。檜材の一木造である千手観音立像は、安永7年(1778)当時の天念寺住職であった法印圓清の願いによって、仏師夷村板井甚蔵國芳等により造立されたことが台座の返花に記されている。
学生レポート
京都大学文学部4年
ご由緒
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