history
ご由緒
平安時代末期の長寛二年(1164)、後白河法皇の勅願により、平清盛が私財を投じて造営。 鎌倉時代の建長元年(1249)に焼失し、文永三年(1266)に再建される。 桃山時代の天正十四年(1586)、豊臣秀吉によって隣に方広寺が造営されると、その一部となり、現存する南大門と太閤塀が造営される。 慶長二十年(1615)、豊臣氏が滅亡すると、妙法院の管理下となる。
規格外のスケールに圧倒される、院政期文化を代表するお堂
いいね 19
さんじゅうさんげんどう
京都府京都市東山区
三十三間堂は建物そのものが国宝であるだけでなく、堂内に祀られる千体の千手観音像、二十八部衆像・風神雷神像まですべて国宝に指定されています。その仏像の数に圧倒されてしまいそうになりますが、それぞれのお像に仏師の魂や祈りの歴史が詰まっています。それぞれの仏像の特徴や個性を感じ取ってみてください。
二十八部衆像は仏教とその信者を守る守護神である。風神・雷神と同様、インドの神々にルーツを持つ。 いずれも鎌倉時代の作であり、写実性が高く動的な姿を持ち、鎌倉時代彫刻の傑作と称される。
学生レポート
京都大学文学部4年
ご由緒
平安時代末期の長寛二年(1164)、後白河法皇の勅願により、平清盛が私財を投じて造営。 鎌倉時代の建長元年(1249)に焼失し、文永三年(1266)に再建される。 桃山時代の天正十四年(1586)、豊臣秀吉によって隣に方広寺が造営されると、その一部となり、現存する南大門と太閤塀が造営される。 慶長二十年(1615)、豊臣氏が滅亡すると、妙法院の管理下となる。
参拝情報