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ご由緒
平安時代の仁和四年(888)、天台座主安慧が円仁の遺言によって創建されたとされる。
陰陽道の泰山府君祭の流行により疫病や厄除けの神として信仰を集める。
江戸時代には商売の神としても崇敬されるようになる。
京都の鬼門を守り続ける鬼門封じの神さま
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せきざんぜんいん
京都府京都市左京区
赤山明神は中国山東省の泰山で祀られていた万物の寿命・運命を司る神で、陰陽道の始祖とされるとともに道鏡の泰山府君とも同一視されている。円仁がに渡ったときは、中国で『会昌の廃仏』が行われていたため、はじめは陸に上がることもできなかった。それを支援してくれたのが赤山法華院であり、円仁が帰る際にもお寺が燃やされていた中で、円仁の帰国の支援も行ってくれた。円仁は帰国の際に安全の祈願を赤山明神に祈るとともに、日本でお祀りすることを約束しており、それをお祀りしたのが赤山禅院である。そのため寺院でありながら神社同様の建築が用いられており、日吉大社と同じ大工による建築で、造りも共通している。
学生レポート
奈良大学3年
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