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ご由緒
奈良時代、天平五年(733)の創建。当初は法相宗の寺院であった。 平安時代前期の貞観年間、天台宗に改宗。 中世には源頼朝の弟範頼の遺児が別当となるなど源家の庇護のもと、東国一の天台密教寺院として興隆し、天台教学の研鑽も盛んに行われる。 桃山時代の天正一九年(1591)には、徳川家康から寺領を寄進されている。
東日本最古の国宝仏と水神の寺
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じんだいじ
東京都調布市
水への祈りから始まった深大寺の境内は豊かな自然と湧き水で包まれています。 開創1300年の歴史の重みも感じながら、境内を巡ってみましょう。
銅造釈迦如来倚像(いぞう)は国宝指定の仏像としては東日本最古。 倚像とは椅子に腰掛ける姿勢を表現した像のことで、飛鳥時代後期の白鳳時代の仏像に多い。 法隆寺の夢違観音像や新薬師寺の香薬師像(盗難により行方不明)と同一作者、あるいは同一工房で制作されたとする説が有力で、畿内から深大寺の本尊として迎えられたと考えられている。
東京都指定の文化財である元三大師(慈恵大師)良源の坐像は、像高約2mの日本最大の肖像彫刻である。 鎌倉時代後期の作とみられ、蒙古襲来の際の調伏祈祷の本尊として造られた可能性も指摘されている。 胎内には15センチほどの鬼大師(良源が疫病を退けた時の鬼の姿)のお像が納められている。
深大寺の創建伝承に深く関わっているのが水の神である、深沙(じんじゃ)大王である。深大寺を開山した満功(まんくう)上人の父である福満は郷長右近の娘と恋に落ちるが、娘の両親は結婚に反対し、娘を湖水中の島に隠してしまう。しかし福満が深沙(じんじゃ)大王に祈願したところ、霊亀が現れ、その背にのって島に渡ることができ二人は結ばれた。この水神伝説は、深大寺周辺に湧き出る清水と関係しているとされる。
学生レポート
京都大学文学部4年
ご由緒
奈良時代、天平五年(733)の創建。当初は法相宗の寺院であった。 平安時代前期の貞観年間、天台宗に改宗。 中世には源頼朝の弟範頼の遺児が別当となるなど源家の庇護のもと、東国一の天台密教寺院として興隆し、天台教学の研鑽も盛んに行われる。 桃山時代の天正一九年(1591)には、徳川家康から寺領を寄進されている。
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