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りんのうじ
輪王寺
栃木県日光市
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日光山輪王寺は平安時代初期に下野国(栃木県)を中心に活躍した僧侶、勝道上人によって開かれた寺院です。
輪王寺を中心に日光は霊場としての発展を遂げ、徳川家による日光東照宮創建につながっていきます。
東照宮の創建から遡ることおよそ800年、日光の歴史は輪王寺から始まっているのです。
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巡りポイント
日光といえば、徳川家とのつながりを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、日光の歴史は、勝道上人が日光山を開山した1250年前の奈良時代末期にまで遡ります。 1250年以上の歴史を感じながら、境内を巡ってみましょう。
本堂・三仏堂(国指定重文)
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東日本最大の木造建築
本堂は正保二年(1645)の建築で、江戸幕府三代将軍、徳川家光の寄進によるものである。東日本では一番大きな木造建築である。
日光三山の神の本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)の大きなお像を祀っている。
感想■大きなお堂と大きな仏像から、江戸幕府の権力の大きさを感じました。
明治の廃仏毀釈を乗り越えて、神仏習合の信仰を伝えてくれる貴重なお堂です。
相輪橖
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伝教大師の言葉を刻む
相輪橖は徳川家光の命で天海僧正が寛永二十年(1643)に造営したもの。
伝教大師の遺訓や「忘己利他」などのお言葉が刻まれている。
感想■延暦寺にもある相輪橖ですが、この日光にもあることで比叡山とのつながりを感じました。
将軍家も最澄さんの教えを大切にしていたということに感動しました。
常行堂・法華堂
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比叡山の「にない堂」を模したお堂
常行堂・法華堂は慈覚大師円仁が嘉祥元年(848)に比叡山延暦寺の「にない堂」をもして造ったものと伝わる。
現在の建物は江戸時代初期のもので、重要文化財に指定されている。
常行堂の本尊は宝冠阿弥陀如来と四菩薩像で、平安末期の作としてこちらも重要文化財に指定されている。
感想■延暦寺のにない堂と比べると輪王寺の方がやや派手な印象があります。
常行堂は和様、法華堂は唐様という違う建築様式で作られているそうで、見比べてみるのも面白いです。
宝物殿
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1250年の歴史を伝える宝物たち
1983年に開館した宝物館には、国宝・重要文化財を含む約三万点の宝物を収めている。
感想■宝物館では勝道上人が日光さんを開いた平安時代のものから江戸時代の将軍家ゆかりのものまで、さまざまな文化財が残されていて、日光山の祈りの歴史の長さを感じることができました。
大護摩堂
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東照宮由来の仏様がたくさん
大護摩堂は世界遺産登録を機に建てられた鉄筋コンクリート造りの建築。
堂内には平安時代の五大明王像や十二天像が安置されているが、これらは神仏分離によって東照宮から移されてきたもの。
天海僧正のお像も祀られており、国指定重要文化財である。
感想■祈りの場である護摩堂には、たくさんのお像が安置されていました。日光東照宮から来たお像も多く、江戸時代まで日光が神仏習合の霊場であったことを感じさせてくれます。
国宝 大猷院(たいゆういん)
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三代将軍家光の墓所
大雄院は江戸幕府三代将軍、徳川家光の墓所である。
家光の遺言により、師である慈眼大師天海の墓所の近くに、家康の墓所である東照宮に向けて建てられた。
国宝の本殿・拝殿・石の間をはじめ、二天門や夜叉門など合計22棟が国宝・重要文化財となっている。
感想■家光公は自分の墓所は家康公の墓所より派手にするなと言い残したそうですが、それでも金や漆、極彩色の装飾で彩られた豪華絢爛な空間が広がっていました。
まるで別世界に迷い込んだかのような体験となりました。
寺伝によれば、奈良時代の天平神護二年(766)、勝道上人により日光開山、四本龍寺と称する。
平安時代には弘法大師空海が来寺したほか、嘉祥元年(848)に慈覚大師円仁が来山し、三仏堂、常行堂、法華堂を建立、天台宗となる。
鎌倉時代には幕府と結びつき、日光山座主が天台座主を兼ねるようにもなる。
戦国時代の天正十八年(1590)、北条氏に加担したことにより豊臣秀吉に寺領を没収され、衰退する。
慶長十四年(1609)に徳川家康により領地が安堵され、慈眼大師天海が貫主となり、元和三年(1617)には家康が日光山に葬られ、東照大権現として祀られるようになる。
江戸時代には法親王が住職を務め、日光山門主は天台座主を兼ね日光山・比叡山・東叡山(寛永寺)をも統轄した。
明治の神仏分離により輪王寺・東照宮・二荒山神社に分かれ、現在に至る。