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ご由緒
寺伝によれば、仁徳天皇の時代、那智山を開いた裸行が感得した如意輪観音像を祀ったことに始まる。
平安時代には三十三所観音霊場を作ったとされる花山法皇が千日間参籠したほか、熊野信仰の高まりとともに発展する。
戦国時代に兵火により焼失、豊臣秀吉によって本堂が再建される。
明治の廃仏毀釈で一時廃寺となるも、明治八年(1875)に天台宗寺院青岸渡寺として復活。
世界遺産・西国三十三所第一番の観音霊場
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なちさんせいがんとじ
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
令和5年10月に150年にぶりに再興されたお堂で、役行者が御本尊と祀られ、修験最極の秘法といわれる柱源護摩供をはじめ、熊野修験秘法の護摩供が毎月第4土曜日の13時半から月例護摩供として厳修されている。自由参加可能。また、仏像画家の象山先生が書かれた不動明王に、染織家として世界的にも有名な奥田祐斎先生が染色した『青岸不動明王』図も祀られている。
たくさんの提灯が点灯し、雰囲気あるお堂の一つ。令和5年に銅板葺きの屋根とお堂壁も塗り替えられました。
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青岸渡寺
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