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ご由緒
寺伝によれば、延暦七年(788)最澄が比叡山東塔南谷に円融坊を建立したことが起り。 大治五年(1130)に堀河天皇の皇子最雲法親王が入室して門跡となる。 寺地は近江坂本から洛中へ移り、火災や応仁の乱により転々とし、円融房、梨本坊、梶井門跡、梶井宮などと称される。 明治維新後、現在の大原に移り、「三千院」と号す。
大原を代表する緑豊かな門跡寺院
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さんぜんいんもんぜき
京都府京都市左京区
大原三千院には門跡寺院ならではの格式高い宸殿、緑豊かな庭園と調和した往生極楽院、多くの人々の信仰を集める金色不動堂など、さまざまな特徴を持ったお堂が立ち並びます。 ゆったりとした時間の流れる大原の地で、豊かな仏教文化に触れてみましょう。
御懺法講は、宸殿で5月30日に行われる、罪やけがれを払う法要である。 平安時代末期に後白河天皇が宮中で始めたことを起源とし、江戸時代までは宮中で行われていたが、現在は三千院の宸殿で行っている。御懺法講では声明と呼ばれるお経に節をつけた仏教音楽と雅楽が奏でられ、宮中で行われていた法会の姿を今に伝えている。
往生極楽院は寺伝では平安時代に恵心僧都源信によって創建されたとされ、平安時代の建築として重要文化財に指定されている。特徴的な船底天井や壁面には平安時代の仏画も残されている。
平安時代末期、久安四年(1148)の作で、国宝に指定されている。 臨終に際して、阿弥陀如来やその眷属が極楽浄土から迎えに来られる来迎の様子を表したお像である。 脇侍の観音・勢至菩薩は膝を少し開いて上半身を前屈みにする「大和坐り」をしており、往生する人を迎えるまさにその一瞬を表しているとされる。
金色不動堂は護摩祈祷を行う祈願道場です。 御本尊として、智証大師作の秘仏、金色不動明王像(重要文化財)をお祀りしています。 金色不動とは智証大師円珍が坐禅中に感得した不動明王の姿を写したものです。 毎年4月中頃〜5月中頃の不動大祭の際などにご開帳され、その姿を拝むことができます。
学生レポート
京都大学文学部4年
ご由緒
寺伝によれば、延暦七年(788)最澄が比叡山東塔南谷に円融坊を建立したことが起り。 大治五年(1130)に堀河天皇の皇子最雲法親王が入室して門跡となる。 寺地は近江坂本から洛中へ移り、火災や応仁の乱により転々とし、円融房、梨本坊、梶井門跡、梶井宮などと称される。 明治維新後、現在の大原に移り、「三千院」と号す。
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