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ご由緒
約1800年前に天竺(インド)の僧・法道仙人により開かれたという。その後、推古天皇35年(627)に推古天皇の勅願により根本中堂が建立され境内が整備されたという。その後、聖武天皇の勅願により大講堂が建立された。西国三十三ヵ所巡礼第25番札所として多くの参拝者が訪れる。
四季折々の自然が彩る山上の霊地
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ばんしゅうきよみずでら
兵庫県加東市
西国三十三ヵ所巡礼やノスタルジックな風景、動物たちに開かれた場所など様々な目的を胸に抱き、多くの人々が播州清水寺を訪れます。清らかな水が滾々と湧き出ることからはじまり、境内に豊かな自然があふれる播州清水寺の境内を巡っていきましょう。
境内の入り口にそびえ立つ仁王門。その仁王門に安置される仁王像は、大正10年(1921)に菅原大三郎師により造立されたお像である。昭和40年(1965)に台風により仁王門が全壊した際に損傷した仁王像は、ご子息である菅原安男先生の手により修復がおこなわれた。
播州清水寺の中心的な建築である根本中堂。現在の建物は、大正6年(1917)7月に再建された建物である。設計は「関西建築界の父」と称される武田五一博士、大工の棟梁は名古屋の伊藤平左衛門であった。延暦寺の根本中堂と同様に、参拝者の目線とご本尊の目線があい、内陣は一段下がっている「中堂様式」で設計されている。建物に用いられている材木は、この地に生えていたスギの木であるという。
根本中堂内陣中央には、30年に1度ご開帳される十一面観音菩薩立像がおまつりされる。その両脇には毘沙門天立像と吉祥天立像が並ぶ。また、左の壇には1930年に境内より発見されたという銅像菩薩立像、工場の敷地から発見され縁あって寄進された鎌倉時代頃の銅像菩薩立像がおまつりされる。ご本尊の右には不動明王坐像がおまつりされている。
根本中堂と同様に武田五一博士による設計で、大正6年(1917)7月に再建された建物である。堂内中央には西国三十三ヵ所巡礼札所本尊である千手観音坐像がおまつりされている。その両脇には毘沙門天立像と地蔵菩薩立像がおまつりされている。千手観音像の脇侍として地蔵菩薩がおまつりされることは珍しく、清水寺がもともと地蔵信仰の霊地として有名であったが故だと伝わる。また内陣には、弁慶ゆかりの碁盤が展示されている。かつて弁慶が住職と碁を打った際、負けた弁慶が悔しさのあまり黒い碁石を盤にねじ込んだという逸話が伝えられている。
かつて平清盛の義母、池禅尼により創建されたという薬師堂。昭和59年(1984)に再建され、薬師堂は多くの参拝者が集う。人々の目当ては、壁面からにらみをきかせる十二神将のお姿。平成13年(2001)「せんとくん」の生みの親である薮内佐斗司先生に依頼し造立されたユーモラスなお姿は多くの人々に愛されている。
根本中堂の裏手の山中におかげの井戸はある。かつて水が乏しい山上のため、法道仙人が水神に祈ったところ、霊泉が湧出したという。この清らかな水より「清水寺」という寺号になったと伝わる。
学生レポート
立命館大学生命科学研究科1年
ご由緒
約1800年前に天竺(インド)の僧・法道仙人により開かれたという。その後、推古天皇35年(627)に推古天皇の勅願により根本中堂が建立され境内が整備されたという。その後、聖武天皇の勅願により大講堂が建立された。西国三十三ヵ所巡礼第25番札所として多くの参拝者が訪れる。
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