history
ご由緒
大宝年間(701~705)に藤原鎌足の子、定恵による創建という。かつては元号より「大宝寺」と称していたという。近くを通る東山道の浦野駅の駅寺として建てられ、万葉集にも大法寺と関連のある歌が収録されているという。大同年間(806年~810年)には、坂上田村麻呂公の願いから第1代天台宗座主・義真により再興された。室町より江戸にかけて戸隠山観修院の末寺であった。
旅人たちを見守る国宝「見返りの塔」
いいね 0
だいほうじ
長野県小県郡青木村
山中の緑の中に溶け込む檜皮葺の美しい三重塔。1400年の歴史を誇る大法寺の境内には、そのような国宝・三重塔をはじめ数々の文化財が伝えられています。
何度も振り返ってしまうほどの美しい姿であることから「見返りの塔」と称される国宝・三重塔。建立されたのは正慶2年(1333)、大阪天王寺の大巧(だいく)四郎を中心とする宮大工により建築された。2層、3層目の塔身よりも初層の塔身を太くしていることが特徴的で、これは大法寺の三重塔と興福寺の三重塔にしかない特徴であるという。内部には大日如来坐像がおまつりされている。三重塔には10体近くのお骨がおさめられており、お墓として供養する場でもある。
観音堂中央には、室町時代頃に作られたと考えられている厨子と須弥壇が置かれている。どちらも精緻な彫刻に彩られており、国の重要文化財に指定されている。厨子の屋根には、日本最古と言われるシャチホコが乗り、防火や厄除けの象徴として参拝者に親しまれている。
厨子の裏に、かつて厨子内におさめられていた十一面観音立像と普賢菩薩立像、文殊菩薩立像などがおまつりされている。十一面観音立像と普賢菩薩立像は作風が似ていることから同じ作者によるものと考えられている。平安時代中期頃、地方仏師の作とされ、大法寺がある東信地域に伝わる最古のお像であると考えられている。
大法寺の境内近くに位置する青木村郷土美術館の展示室には、平山郁夫氏の弟子である馬場良治氏による三重塔内部の壁画の復元図が展示されている。極彩色の仏の姿や花、葉、鳥が描かれた往時の空間がよみがえる。
学生レポート
立命館大学生命科学部4年
ご由緒
大宝年間(701~705)に藤原鎌足の子、定恵による創建という。かつては元号より「大宝寺」と称していたという。近くを通る東山道の浦野駅の駅寺として建てられ、万葉集にも大法寺と関連のある歌が収録されているという。大同年間(806年~810年)には、坂上田村麻呂公の願いから第1代天台宗座主・義真により再興された。室町より江戸にかけて戸隠山観修院の末寺であった。
参拝情報