本堂中央におまつりされるご本尊・阿弥陀如来坐像は鉄で造立された全国的に珍しいお像である。お像の背中に「仁治4年」の銘が残り、その頃の造立だと考えられている。もともと善勝寺より4kmほど離れた小坂子(こざかし)町で造立されまつられてきたが、明治12年(1879)に善勝寺の本尊として移されてきた。像高約90cm、重量約88kg、「上品下生」の印を結ぶ阿弥陀如来像である。胴体は当初の鉄造部分が残り、頭部と両手先は銅製で、伝承では現在の千葉県にて修復された際に加えられたという。造立の契機は、小坂子村にあった慶雲和尚の御堂へ浄土真宗の開祖・親鸞聖人が来訪したことに始まるという。親鸞聖人の教えに感銘を受けた村の人々は阿弥陀如来像を造立した。その際、村人たちは砂鉄をそれぞれ持ち寄りお像の材料としたという。このお像の噂は瞬く間に広がり、一日に500人以上の参拝者が訪れたそう。また、お像の前を乗馬したまま横切ると必ず落馬するため、馬を下りるよう塚が築かれたとも伝わる。しかしながら、永禄2年(1559)に盗難され、お像は水田の中に捨てられてしまったそう。しばらく放置され、江戸時代の元和元年(1615)または元和5年(1619)に小坂子城主の五十嵐荘左衛門により泥の池から光を放つお像が見つけ出され、小坂子町のお堂でまつられてきたという来歴がある。ご本尊の周囲には、両脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像、雲中供養菩薩像などが配され、さながら阿弥陀如来が住むという西方極楽浄土の様子を表しているようである。
感想■ご本尊の眼前に進むと圧倒的な美しさに息を呑みます。首元や手首にあるつなぎ目は、波瀾万丈な歴史を歩んできたが故に頭部と両手先を後年の修復で頭部と両手先を胴体とつなぎ合わせたためだとご住職から伺いました。また、造立当初の部分である胴体部分をよく見てみると細かい傷跡がついていました。ご本尊の美しさの裏には、戦乱や盗難に巻き込まれた歴史があり、巻き込まれるたびにご本尊を守ろうと尽力された人々の姿があったのだと感じました。