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穏やかなまなざしをむける美しい鉄のみほとけ

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ぜんしょうじ

善勝寺

群馬県前橋市

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日本で最も美しいと称される鉄でできた阿弥陀さまが、前橋市の善勝寺におまつりされています。村人がそれぞれ各所から砂鉄を持ち寄り完成したと伝わる阿弥陀さまの眼差しは、優しく穏やかなものでした。ご本尊だけでなく欄間に彫られたお釈迦さんの一代記など、近代的な本堂の内部には、仏の世界が表現されています。

巡りポイント

日本で最も美しいと称される鉄造の阿弥陀さまの優しい眼差し、穏やかな衣の表現に息を呑むことでしょう。ご本尊のまわりを彩る雲中供養菩薩や金色の観音菩薩、勢至菩薩像、供物などが表現する仏の世界も必見です。(参拝者の方々は本堂の扉にある窓からお参りください。)

鉄造阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)

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日本で最も美しいと言われる鉄のみほとけ

本堂中央におまつりされるご本尊・阿弥陀如来坐像は鉄で造立された全国的に珍しいお像である。お像の背中に「仁治4年」の銘が残り、その頃の造立だと考えられている。もともと善勝寺より4kmほど離れた小坂子(こざかし)町で造立されまつられてきたが、明治12年(1879)に善勝寺の本尊として移されてきた。像高約90cm、重量約88kg、「上品下生」の印を結ぶ阿弥陀如来像である。胴体は当初の鉄造部分が残り、頭部と両手先は銅製で、伝承では現在の千葉県にて修復された際に加えられたという。造立の契機は、小坂子村にあった慶雲和尚の御堂へ浄土真宗の開祖・親鸞聖人が来訪したことに始まるという。親鸞聖人の教えに感銘を受けた村の人々は阿弥陀如来像を造立した。その際、村人たちは砂鉄をそれぞれ持ち寄りお像の材料としたという。このお像の噂は瞬く間に広がり、一日に500人以上の参拝者が訪れたそう。また、お像の前を乗馬したまま横切ると必ず落馬するため、馬を下りるよう塚が築かれたとも伝わる。しかしながら、永禄2年(1559)に盗難され、お像は水田の中に捨てられてしまったそう。しばらく放置され、江戸時代の元和元年(1615)または元和5年(1619)に小坂子城主の五十嵐荘左衛門により泥の池から光を放つお像が見つけ出され、小坂子町のお堂でまつられてきたという来歴がある。ご本尊の周囲には、両脇侍の観音菩薩立像、勢至菩薩立像、雲中供養菩薩像などが配され、さながら阿弥陀如来が住むという西方極楽浄土の様子を表しているようである。

感想■ご本尊の眼前に進むと圧倒的な美しさに息を呑みます。首元や手首にあるつなぎ目は、波瀾万丈な歴史を歩んできたが故に頭部と両手先を後年の修復で頭部と両手先を胴体とつなぎ合わせたためだとご住職から伺いました。また、造立当初の部分である胴体部分をよく見てみると細かい傷跡がついていました。ご本尊の美しさの裏には、戦乱や盗難に巻き込まれた歴史があり、巻き込まれるたびにご本尊を守ろうと尽力された人々の姿があったのだと感じました。

本堂

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お釈迦さまの一生とほとけの世界が彫刻された大作

昭和54年(1979)、鉄筋コンクリート造で再建された本堂には、釈迦の一生が彫刻された9枚の欄間彫刻、阿弥陀如来や二十五菩薩のお姿が彫刻された欄間彫刻がはめられている。中国の仏師に依頼し、完成まで10年ほどの歳月がかかったという。

感想■板に彫刻されたと思えないほど、立体的かつ精緻な彫刻でした。なかでも、ほとけや僧侶の頭上の木々の葉が一枚一枚丁寧に彫られていたことが印象的でした。彫刻されている仏の表情が生き生きとしており、仏たちに囲まれている心地がしました。

善勝寺大仏

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像高5mを越える大きなほとけさま

平成8年(1996年)、天台大師1400年大遠忌を記念して造立されたという。ご本尊である鉄造阿弥陀如来坐像をたくさんの人々に知ってもらいたいという願いより大仏が造立されたそう。

感想■境内入り口近くにおまつりされる大仏さまのその大きさや凜々しい表情にしばらく見とれていました。大仏さまのその眼差しは、参道を通る参拝者の方々を見守っているようでした。

report

学生レポート

立命館大学生命科学研究科1年

ご訪問を終えて

本堂に足を踏み入れた瞬間、正面に広がる空間の美しさに我を忘れました。ご本尊の間近に近づくと、より一層その表情や座っているお姿の美しさに見とれてしまいました。このお像は村人たちが砂鉄を各所より持ち寄って造立したとご住職から伺いました。ご本尊のその優しく穏やかな眼差しは、村人たちの地域の平和を願う穏やかな気持ちを反映しているのかなと感じました。

history

ご由緒

勝道上人により創建されたと伝わる。大治4年(1129)には、聖慶法師が薬師如来像を安置し、鳥取山自観寺としたという。その後衰退したが、鎌倉時代の正喜2年(1258年)に天台宗の僧・覚山が住職となり中興された。この後、鎌倉幕府第五代執権の北条時頼が諸国巡歴の際に宿泊し、田地の寄進と〝海もなく磯べも遠きこの里に何れのあまが植し塩竈〟という和歌を残したという伝承が残る。室町時代の天文年間(16世紀前半)、厩橋城主の長野左衛門尉がこの寺に陣を置き、合戦に勝利したため善勝寺に改称したという。江戸時代には徳川家光から寺領25石を賜る。

info

参拝情報

名称
艮場山善勝寺
(ごんじょうさんぜんしょうじ)
所在地
群馬県前橋市瑞気町337
googleMAP
参拝時間
堂内参拝不可
拝観料
堂内参拝不可
宗派
天台宗
御本尊
阿弥陀如来
宝物殿
要確認
アクセス
公共交通機関
■荻窪公園線「端気町」駅から徒歩2分
駐車場
要確認
Webサイト
要確認
備考
紹介映像「群馬県のお寺を巡る(浄法寺:最初~、龍蔵寺:3分50秒~、水澤寺:7分05秒~、珊瑚寺:9分50秒~、善勝寺:13分30秒~)」
https://www.youtube.com/watch?v=LyADZ42hhB4&t=760s

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