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ご由緒
和銅元年(708年)、行基が竜山川下流で霊木を見つけ、その木でご本尊である十一面観音を彫って安置したことにはじまる。その後、慈覚大師がお寺を整備したという。お寺には、南北朝時代の文和2年(1353)から永和元年(1375)に書写された大般若経が伝わり、当時の東北地方の社会情勢を知る上で貴重な史料となっている。
1300年以上の歴史をほこる山形屈指の古寺
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しゃくぎょうじ
山形県山形市
行基菩薩や慈覚大師と縁の深い石行寺。お寺に残る貴重な文化財を巡ると、そこには人々に寄り添い心の拠所であった石行寺の姿が浮かび上がります。1300年の歴史に彩られる人々のためのお寺・石行寺の境内へ歩みを進めていきましょう。
和銅元年(708)に行基菩薩が竜山川下流で霊木を見つけ、その木でご本尊である十一面観音を彫り安置した。その後観2年(860)この地を慈覚大師が訪れ、観音堂を建立したという。現在の観音堂は、棟札などより室町時代末期頃の建築と考えられている。普段はお前立ちの観音像が参拝者の目に触れ、12年に一度、子年に厨子の中のご本尊がご開帳される。最上三十三観音の第7番札所である。
石行寺には南北朝時代の文和2年(1353)から永和元年(1375)に、石行寺の僧侶である安玄・準海・朝尊・覚阿らにより書写された大般若経が114巻伝わっている。なかでも巻第100の巻末には当時の世相を表わし、南朝・北朝の2つの年号が記され、「国々両方合戦絶えず飢餓也」と記されている。当時、日本中で戦乱が起こり厳しい社会情勢であったことを示している。
本堂正面には御本尊である阿弥陀如来立像。向かって右側に釈迦如来坐像、左側に千手観音菩薩立像がおまつりされる。なぜ脇に釈迦如来坐像がおまつりされているのかは判明していない。
本堂から続く位牌堂には、天台大師や伝教大師、慈覚大師のお像がおまつりされるとともに、地域の方々の位牌がおまつりされている。雪が深い東北地方や日本海側の地域では、お寺に位牌を預ける伝統があるという。
学生レポート
立命館大学生命科学部4年
ご由緒
和銅元年(708年)、行基が竜山川下流で霊木を見つけ、その木でご本尊である十一面観音を彫って安置したことにはじまる。その後、慈覚大師がお寺を整備したという。お寺には、南北朝時代の文和2年(1353)から永和元年(1375)に書写された大般若経が伝わり、当時の東北地方の社会情勢を知る上で貴重な史料となっている。
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