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ご由緒
天文年間、1530年頃の創建と伝わる。聖衆来迎寺住職であった真玄上人の隠居寺として創建されたそう。境内の中心に位置する本堂は、文化10年(1813)の3月に移築されたものとの記録が残り、一説には奈良県の大きなお寺の書院であったと伝わる。かつて山中にあった高日山星林院に安置されていた伝教大師作の十一面千手観世音菩薩像をまつる観音堂も管理している。
地域ごとにおまつりする最澄ゆかりのみほとけ ー人々の暮らしの中に
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とうこうじ
滋賀県大津市
仰木の郷でおまつりされる伝教大師ゆかりの十一面千手観世音菩薩立像。33年ごとのご開帳とその中間の中開帳で人々の前に姿を現わす秘仏です。そのような十一面千手観世音菩薩像がおまつりされる観音堂には、千手観音さまに対する人々の想いがあふれていました。僧侶の隠居寺院としてはじまったとされる東光寺の穏やかな空気とともに仰木の魅力を味わっていただきたいです。
仰木の里の歴史をまとめた「仰木村史」によれば、天文年間の1530年頃、聖衆来迎寺住職であった真玄上人が住職を後進に譲られ、隠居寺として東光寺が創建されたという。現在の本堂は、文化10年(1813)の3月に移築されてきた建物とされ、伝承では奈良にある大きな寺院の書院を移築したものと伝わる。その伝承を裏付けるように、書院建築に見られる床の間などの書院造の要素や、断面が四角となる角柱が多用されているなど、随所に本堂建築として独特な特徴がみられる。本堂中央には、ご本尊である慈覚大師円仁造立とされる阿弥陀如来立像がおまつりされている。
本堂の近くに造られた庭園の詳細は明らかではないそう。しかしながら、池は琵琶湖、池の中の島は弁財天の聖地として名高い竹生島、築山は比叡山を模しその頂上には日吉明神をまつる小さな祠がある。いかに比叡山を含む地域一帯が愛着を持たれていたかを伝える庭園である。
781年、高日山星林院で修行をしていた伝教大師は山中に光る霊木を発見し、その霊木を用いて何体かの仏像を造立したという。そのうちの1躯と伝えられているお像が観音堂にまつられる秘仏・千手観音菩薩立像である。元来、高日山星林院に安置されていたが廃れたため、寛永年間(1624)、仰木にある小椋神社の神宮寺に移された。その後、明治時代の神仏分離令により神宮寺が廃されたため、かつて源満仲公の住居があった「御所の山」に移されたという。しかしながら、「御所の山」でおまつりすることも困難になったため、伝教大師とゆかりのあるいくつかのお像を仰木の4つの集落に1躯ずつ分けておまつりしたという。そのうちの1躯である千手観音立像は、後水尾天皇の皇女であり仰木を治めていた賀子内親王(よしこないしんのう)から深く信仰され、現在お像がおさめられている厨子を寄進したという。天皇家と德川家双方にゆかりのある賀子内親王との繋がりを示すように厨子には菊の御紋と葵の御紋が刻まれている。
学生レポート
立命館大学生命科学研究科1年
ご由緒
天文年間、1530年頃の創建と伝わる。聖衆来迎寺住職であった真玄上人の隠居寺として創建されたそう。境内の中心に位置する本堂は、文化10年(1813)の3月に移築されたものとの記録が残り、一説には奈良県の大きなお寺の書院であったと伝わる。かつて山中にあった高日山星林院に安置されていた伝教大師作の十一面千手観世音菩薩像をまつる観音堂も管理している。
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