history
ご由緒
西暦679年の創建。創建当時は数多くの建物が並び立つ大寺院であったという。その名残として、願徳寺が伽藍を構えた場所に日本最古の湯屋の遺構が発見されている。平安時代の終わり頃に、平清盛の弟である平教盛の息子、忠快によって再興された。その後、幾たびの戦乱に巻き込まれながらも再興され、1973年、現在の地に移転した。「京都で一番小さな拝観寺院」と称し、多くの参拝者が訪れている。
京都で一番小さいお寺におわす清麗なみほとけたち
いいね 0
ほうぼだいいんがんとくじ
京都府京都市西京区
願徳寺には国宝や重要文化財に指定される仏像が大切に守り伝えられてきました。最近造立されたかのように思えるほど美しい姿を保つお像の数々は、京都随一の大寺院として著名であったという願徳寺の遺風を今に伝えています。その日の天気や参拝者の心情などで表情が変わると有名な願徳寺のお像の前に歩みを進めていきましょう。
宝菩提院願徳寺のご本尊・如意輪観音像は、平安時代前期に造立されたお像である。像高約88cm、カヤの木から彫られている。国宝に指定される著名な像だが謎が多く、唐で彫刻されたとも日本で彫られたとも言われている。また、寺伝では如意輪観音像とされているが、聖観音像とも月光菩薩、虚空蔵菩薩とも言われ、当初より独尊なのか三尊形式の1躯なのか様々な説がある。自然の光の下と照明の下では、表情が変わることでも有名。
平安時代後期に造立されたという薬師如来立像。やさしく穏やかな表情が特徴的である。腕から下に垂れる衣の薄さが魅力的。
おまつりされる聖徳太子像の像内には、大量の墨書きと頭部に小さいお像がおさめられていることが調査により判明した。墨書きには、「一遍上人の実弟である聖戒(しょうかい)が一遍上人と2人の父親である如仏の菩提を弔うために造立した」と記されていた。しかしながら、願徳寺と一遍上人や時宗教団との繋がりは未だ謎に包まれている。
学生レポート
立命館大学生命科学研究科2年
ご由緒
西暦679年の創建。創建当時は数多くの建物が並び立つ大寺院であったという。その名残として、願徳寺が伽藍を構えた場所に日本最古の湯屋の遺構が発見されている。平安時代の終わり頃に、平清盛の弟である平教盛の息子、忠快によって再興された。その後、幾たびの戦乱に巻き込まれながらも再興され、1973年、現在の地に移転した。「京都で一番小さな拝観寺院」と称し、多くの参拝者が訪れている。
参拝情報